社業の歴史

明治10年 創業。初代金子利助 水車製粉として事業を開始
明治10年 西南戦争勃発 エジソンが蓄音器を発表
昭和10年 2代目金子義久 製粉、乾麺事業を開始
昭和10年 築地市場開場 「モノポリー」発売
昭和60年 3代目金子辰男(現会長)自家製粉全粒粉開発
昭和60年 携帯電話「ショルダーフォン」発売 日本人初の宇宙飛行士が決定
昭和60年 4代目金子貴司(現社長)入社
昭和62年 金子貴司、専務取締役就任 昭和62年 世界の人口が50億人を突破 JRグループ7社が発足
昭和64年 生麺部門開発、皮類製造部門開発、契約栽培穀物導入 昭和64年 消費税法施行
平成8年 法人に組織変更 平成8年 原爆ドーム・厳島神社が世界遺産に登録 海の日が施行
平成8年 金子辰男代表取締役社長就任
平成10年 自然食品業界との取引開始 平成10年 長野オリンピック開幕 郵便番号7桁化開始
平成12年 全国の生協関係の取引開始 スーパーマーケット・百貨店との取引開始 平成12年 二千円札発行 「プレイステーション2」発売
平成20年 金子貴司 代表取締役社長に就任
平成20年 アメリカ合衆国大統領にオバマ氏が当選

全粒粉製品を開発したきっかけ

有限会社金子製麺は、明治10年創業以来国産小麦を中心に製麺/製粉の販売を続けて現在に至るわけですが、創業当時は中村川より支流を引き寄せ、水車の動力により機械を動かしていたわけです。 当時としては国産小麦は当たり前に手に入る状況でしたし、いたる処で農家の人は小麦を栽培していたと聞かされております。 また、その小麦を製粉/加工するのにかなり忙しくいかにしてきれいな粉を挽くか、苦労した様でした。その後は大手製粉会社の大量生産や、外国産小麦の台頭により白くてきめの細かい粉が出回るようになり地場の小さい製粉所は次々と姿を消していく事になっていきました。
金子製麺も時代の流れにはついていけず、兼業農家のかたわら製麺業を続けていたのが三代目現在の社長ですが、ある時期体調を崩した時にある方から精白したものばかり食べていると体に良くないことを知り、その事がきっかけで小麦も国内産の色の黒い粉でも旨み/コク/風味があれば必ず欲しがっている人がいるはずという事で、全粒粉の商品を開発したわけです。

受け入れてもらえなかった全粒粉

ちょうどその頃小生の学生生活が終わり金子製麺に就職したわけですが、営業してもなかなか理解してもらえず 試行錯誤して食べやすい全粒粉の製品を改良試作し、時代のニーズに合った製品を開発して現在に至っています。簡単に過去を振り返ってみましたが金子製麺の原点は創業時代の考え方と何も変わっていません。
何故国産小麦なのか、何故小型製粉機なのか、何故水に塩に自然乾燥にこだわるのか、それは一番無理のない同じ環境で、育まれた物だからではないでしょうか。だから旨みが解かるように思います。

国産小麦のよさを伝えていきたい

弊社の小麦は契約栽培の農林61号という品種でして、この小麦は非常にコクが有り、風味が有ります。しかもこの小麦を低速回転の小型製粉機で、無理な力を加えず製粉しますので、より一層旨みが逃げないように思われます。
私の家庭では国産小麦粉ですべての粉料理をまかなっています。あまり形にこだわらず使いこなすと、結構使えるものです。私自身はこういう小麦粉が一番良いと思いますが、そのような中で金子製麺の製品にご理解いただける消費者の皆様の、味覚の素晴らしさにいつも共鳴を覚えております。しかしながら小麦を生産する状況はきわめて厳しく、生産麦価が上がらない状況の中では製品単価が上がらないという現状も考えの中に入れておいて欲しいと思います。需要と供給のバランスが崩れないで、国産小麦の良さが浸透していく事を願っています。
本物の味作り数百年、「神名の郷 かねこ製麺」は明治の創業以来、確かな品質と安全性を企業理念として歩んでおります。 製粉から製麺と代々受け継がれてきた独自の製法で、本物の味にこだわる職人気質が、麺の味と信じています。 どうぞこれからも、かねこ製麺をお引き立て下さいます様宜しくお願い致します。